アーサおじさんのデジタルエッセイ85

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第85話 秋の雨


その昔、日本人がもしかしたら一生のうちに飛行機というものに乗ることが無いかもしれないという時代には、「外国の話」は貴重で楽しいものだった。

飛行機内の話も贅沢で素晴らしく響くものだった。乗る時に航空会社のマーク入りのバッグをくれた。

スチュワーデスというお姉さんが、毛布を貸してくれたり、機内で食事をするなんて!
本を読むときにはその人にだけ電気が点く。
そして、居ながらにして外国に着くというわけだ。

そういえば、NHKの日曜日の朝の『兼高かおるの世界の旅』はいつも不思議な信じられないような世界を見せてくれた。
羊の料理を彼女はパクパク食べたり、怪しげな人々と会話をしたり、「摩天楼」に登ったりした。
その頃、画家というものはフランス留学しなければ箔がつかなかった。
聞けば、半年・数ヶ月ということを繰り返すのだが、それでも渡欧○回という経歴を手に入れなければ、偉そうに銀座で個展が開けなかった。

パリ?


ついでに、それらしく、ベレー帽、パイプなどをちらつかせていた。
あほくさ。シェー、という「イヤミ」のキャラクターが二言目には「おフランスでは、こうするザマス」という漫画がある。

うーん、随分の直撃の皮肉だなあ。という訳ではないが、今ではあまり外国の話を好んで人にするものではない。そのメッセージは多くの場合、文化的考察よりも、「わたしはどこそこへ行った」というメッセージが鼻につく。第一間違ってても批判できない。あるいは、今では、うっかりそんな話をしても「私はそこに7年住んでました」と言う人が現れたりして恥を掻く。文章も同じであろう。出来るだけ外国の話を書かないほうがよい。と思う。

僕がエジプトのカイロ美術館で警備兵達に空手を披露するようせがまれた話をしても、面白いだろうか?(ま、面白いかもしれないが、読後はどんなものだろうか)「で、なんなの?」と言われるかもしれない。話が逸れた。いつも僕は、何を書くべきか考えてしまう。なるべく、身近で自然な心の動きを捕えたいと思う。雨のしずくが白い空から下りてきて、公園のベンチを濡らす。緑色のベンチの、ペンキのムラに沿って水滴も歪み揺らいで

流れる。水滴が集まって膨らみ速まる。それを何時間も何時間も続けている。どこにも不思議はある。外国にももちろんある。僕は外国のその水滴の流れのようなものを書きたいと考えることはある。

             ◎ノノ◎ 
             (・●・)
             

        「 また、お会いしましょう」 2001年11月24日更新


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