アーサーおじさんのデジタルエッセイ499

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第499 火種は残っているだろうか 


 深夜の3時ごろ突然に目が醒めた。いろいろ考えていた。
今後やりたいことは何だろう?
もうどうせ(人生の)残りの時間はそんなに多くはないのだから。
 これまでは、いつかゆっくり時間があれば読もうかと思った本もよくよく考えれば決して読みっこない、それが分かってきたのだ。
なんであんな難しそうな本を手に入れて保存していたのだろう。
あれは読まないし、あっちのジャンルもそんなに気が入らない。
毎日打ち込めるのは、あれと、これしかないなあ。
何でこんなにごちゃごちゃとスクラップをしたのだろう。
もう日付も古い。
あのアルバム写真も整理したところで、見返すこともなさそうである。
「では、捨てよう」。

 きれいさっぱりとして、次世代に迷惑を掛けないようにしよう。
現金や資産の書類以外に大事なものがありそうにならないようにしよう、と思い詰める。
新聞の切り抜き、書き掛けのノートなどばっさり捨てる。
 漱石や太宰のように、私の没後に原稿が出て来て出版されるような仕事があるわけもない。
膨大な文章があってもそれを再び読むほどの価値は、本人にしかない。そして清潔な病院の一室のように、いつでもシーツが代えられて、掃除機が掛けられるように、すっきりしてみたい。
蟻がアリ塚を作り、鳥が巣を作る。
それは名の残る仕事ではない。
あとあと名など残らない行為は美しいかもしれない。
毎日、日向ぼっこをし、皿を洗い、お米と汁と菜を食べ、にこにこして暮らせばいい。
と思いつつ、まだ、奥底にわけのわからない火種を感じるのである。
そう、むしろその火種の発見のために、もう少し捨ててみようと考えている。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2010年6月18日更新


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