アーサーおじさんのデジタルエッセイ498

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第498 教会の秘密2 


 そういえば、その昔に教会が「光」を活用したほかにも、カリスマ性の獲得のために、「音楽」の活用があった。
ウィーン少年合唱団は「天使の歌声」とか言われるから、あきらかに美しい歌声そして音楽を、神のカリスマ性の確保に活用したはずである。
 すごい、と思せるものはなんでも利用する、というところがあるに違いない。
光、音楽、それに私は知らないが、踊り、美女、力、などもあるだろう。
古来の祭りにはしばしば見られる。
神楽踊りや巫女の舞い、相撲の奉納、などはそういう能力を見せ付け、結局は神の側に取り込んでみせるのである。
それだけではなく、恐怖、記憶力、死、酒、薬物、などもその持ち札に加わることができる。
僧侶の長い読経の記憶力なども“神懸かり?”であるかもしれない。
 こうすると、限りなく現世の快楽的なものが取り込まれているようである。
教会に行けば、歌舞音曲、エンターテイメントがいつでもたっぷりと味わえるということになるだろうか。
もっと厳格だと思われるアメリカに渡ったプロテスタントの教えでさえ、黒人の間ではゴスペル舞台化するのを避けられなかったのではないだろうか(間違ってたらごめんなさい)。

 しかし、イスラムではこの矛盾に気が付いたのかもしれない。「音楽、踊り、美女、酒。とんでもない!」ということになった。
イスラムの教えでは全て禁止される。
酒も音楽も存在しない。
踊ってもいけない、歌ってもいけない。
コーランを吟唱することだけが許される。
おまけに画像も禁止。
神の絵や偶像は厳格に排除されてしまった。
従ってモスクには神の像も絵も無い。
子供の世界にも踊りや遊びはないのだろうか?
それもちょっと変だ。
新たな矛盾を感じる。
 イスラム圏では児童に遊び道具が与えられないのだろうか?
1982年にエジプトの町で、子供のおもちゃが無いのかどうか気になって、砂の街を尋ね回ったことがある。
お店が出して見せてくれた玩具はどれも輸入品。
地元の物を見つけられない。
街角で歌声が聞こえたと思ったら、それはコーランの合唱であった。
そこでは神は、恐怖と罰と名誉のみを統率の道具としているらしい。
遊びを許してくれる瑞穂の国の慈悲、包容が、懐かしいと思うことができた。

             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2010年6月12日更新


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