アーサーおじさんのデジタルエッセイ483

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第483 女性と日経新聞


 このタイトルは危険な匂いがする。
おそらくなんらかの差別を述べることになるかもしれない。
電車に乗ると、満員であるに関わらず多くの人が思い思いに何かを読んでいる。
こういう技能も実に文化的な技能である。
最近はモバイルや電子機器も増えた。
ゲームや電子マガジンを見ているようだ。
新聞で多いのは日経新聞に違いない。
この新聞が最もエンタテイメントでなく、ビジネスの実用性が高いので、ビジネスの始まる出勤前に読んでおきたいのだろう。
男女の職場的平等化が進んだ今は、従って、この新聞を読むのは男性に限らない。
しかし、ドアの傍に体を寄せて、長い髪、マスカラにイヤリングの女性が日経を読んでいるのは似合わない。
なぜだろう。
現実的には不思議はない。
部長や社長の女性もいる。
しかし、眉根にしわを寄せて、女性の手に縦に折った日経の文字が見えるのはなぜか憐れである。
それは、男性に露見する社会欲や出世欲というものに支えられた戦闘的なイメージでは処理しにくい。
何か追われるような、仕方なく列に加わるような悲壮さが感じられる。
男は一途であり、それでよい。
しかし女性は一途であるのは悲しい。

これは変だ。
女性が一途だとなぜいけない?
勝間和代さんならいいのか。
アマゾネスの逞しいイメージは男女差別なのだろうか。
これは解けない謎である。
細い指に、似つかわしくない紙の武器を渡され戦闘の列に加わる若い女性。
ファウンデーションとハンドクリームの匂いをさせながら、竹刀の素振りをさせられているようだ。
武士のたしなみでナギナタを習い、懐剣を持つ子女のようだ。
やはり、背景には「サラリーマンの武士道」があり、それに右へ習いをさせられているのではないだろうか。
所詮、日経新聞はアクセサリーにならない武器なのだろう。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2010年2月27日更新


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