アーサーおじさんのデジタルエッセイ482

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第482 「カラスの行水」


 いつもとは違う最寄りの駅に向かって歩く。
銀杏の葉がはらはらと散っている。
自動車道路沿いの学校の横を通ると、金属棒の垣根越しにグラウンドや花壇が見える。
その一隅に池とは思えない水場があって、煉瓦の縁に漆黒のカラスがとまっていた。
何をしているか。大きな嘴(クチバシ)を水に突っ込むと、含んだ水を羽に運び手入れをしている。
何度も、何度も。「ああ、カラスの行水だ」と声を出した私は、思わず感動した。それはカラスに感動したのではないことは明らかだ。
感動したのは「カラスの行水」という言葉とその図像にである。
言葉は面白いなあ。言葉は何かを説明しているのではなくて、それ自体が一つの存在なのだ。
小さい頃から耳にした「カラスの行水」という言葉。商店街でお店を経営していた江戸っ子の叔父さんはいつも銭湯で「カラスの行水」だったと聞く。
その言葉の遠い原点にぶつかり、心に映像化されたらしい。

 そういえば、こんな話がある。
小さな子供がうっかり犬に噛まれた。ガブリ。
親はびっくりして心配した。
すると子供は噛まれた手を持ち上げて「あ・・・飼い犬に手をかまれたよ!」と言い、突然うれしそうに笑った。
何度も聞いたことのある言い草を初めて現実化した楽しさであろう。
 そういえば、かつて旅行した信州の山奥の温泉で「猿も木から落ちる」のを見たことがある。
可哀想な猿だったなあ。(エッセイNo.201参照)
そのうちに川で「河童が流される」のを見るだろうか。
しかしそれは難しそうだ。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2010年2月20日更新


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