アーサーおじさんのデジタルエッセイ481

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第481 「村一番」の幸せ


 義父が生前に、足が速かった話をよくしてくれた。
もちろん子供の頃である。
東北の村である。
運動会で皆を抜き先頭を走ったが、ゴールの直前で、二番目を走ってきた「いとこ」を待って、一緒にテープを切ったというものだ。
「ずっと村で語り継がれました」と言う。
それはまるで伝説を語るようでもあった。
義父と「いとこ」の関係が周知である村だから、その瞬間が輝いたのだろう。
大人になるまでにはいろんな思い出もあっただろうに、その話にこだわるのはおそらく村人が、なにかにつけて折節に語ったということだろう。
 確かに100年も経てば伝説になったかもしれない。

 しかし、その後、村は変貌し、村がすべてではないさまざまな情報でコントロールされるマイナーな地域に変貌した。
発展する都市から日本全国の「基準」や「日本一のレベル」が伝えられ、人々は世界は広いと驚嘆した。
 「村一番」の歌い手が、都市では何万何千何百番目であることも知ってしまった。
21世紀に入ると、ちょっと何かをしようと思えば、「世界」に対抗せねばならなくなった。
どんなにすぐれた技能があっても、「なーんだテレビでもっとすごいの見たよ」と無視されるかもしれない。
イチローや松井、世界に出た者だけが讃えられる。
しかし世界は激流の修羅場であり、柔らかい座布団に座る時間はない世界である。
人口が少なかった時代、ひとびとは村で抜きんでていれば讃えられ、幸せで誇らしかった。
「村」が全世界である時期はほんとうに長かったはずである。
そして、伝説というものはほとんどが、その小さな村である頃に生まれたものだ。
とんち小僧も力持ちの何兵衛も、たぶん普通の人間だった。
巨額の投資とコーチ、一日18時間のトレーニングを行うアスリートなどいなかった。
箱庭のような村はいろんな「一番」を、普通に暮らす人々に与えてくれたのだ。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2010年2月13日更新


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