アーサーおじさんのデジタルエッセイ455

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第455 武士道は社交のルール


 上杉家が「義」と「愛」を重んじたとしたところで、他者が理解し共感してくれたとは限らない。
徳川、真田ならずとも、裏切りや策略がそれに対抗する。
 それにしても、いずれは厳格な武士道が生まれる。
西洋にも騎士道や教会の掟がある。
いつからそうなったのか。
類人猿や縄文人には存在しない。
最初からあったわけではない。
切腹のルールも、登城の太鼓や裃のルールもない。
「誰か」が作ったのだ。
なぜ武士道が生まれたのか。
武士は偉くて人格が高いからではない。
要するに上からのお仕着せである。
上が自分たちを守るのに、掟が必要なのだ。
でも掟であれば、掟破りが生まれるので、まるで自然な法則のような衣を着せる。
それが武士道である。

別に武士道がカッコイイのではなく、ルールを守っているだけである。
別に大小の刀を差す必要も、頭を剃ってちょんマゲを結う必要もないし、自分を拙者と呼ぶ必要もないのにそうする。
メンドくさいなあ。
でもメンドくさいと言ったら相変わらず斬り合わなければならないから、武士道を発明して統一した。
ルールはトップだけはいつでも破っていいことになっている。
代官が「おぬしもワルじゃのう」と言うのは限度があるが、将軍が言うのはOKである。
水戸黄門が言ったら、誰も裁けないはずだ。
 宮本武蔵を武士道で裁いたら極刑ものだろう。
ルールなく上手に斬るだけだから。
要するに、武士道とは社交のルールであった。
序列社会での社交のルールであった。
幕府はいつでもアナーキーで強い人がイヤなのだ。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2009年8月1日更新


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