アーサーおじさんのデジタルエッセイ423

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第423 レンズを通して生きる時間


 いつの間にか、ある年齢になるとかつてあんなに聴いていた、ウォークマンなどを放棄していた。
聴覚をそれ専用の機器で覆い隠すことが苦手になった。
どんな音でも、たとえ雑音でも自分の周囲を取り囲む音ならば、受け入れ、味わうことを大事にするようになった。
そして電車の中では扉上の目まぐるしく動くモニターに目が惹き寄せられることを忌むようになった。
「そんなものは必要ないんだ」

 生きているせいで自然に入ってくる原始的な情報で、人は出来上がっているのではなかったか。
五感にビニールを被せるような生き方はあまり好まなくなった。
 いつかヨーロッパのツアーの同グループに、有名な風景や好ましい路地裏をずっと動画VTRを掲げて歩いている若者がいた。
彼はその画像がヨーロッパであることに感動しているようであった。
しかし、ざらざらしたり、砂が掛かるような、そして霞んだりする現実の世界が、自分の存在に繋がっているのではないか。
人に見せる、伝えるための映像は、美しいのかもしれないが、自分の人生から離れていくのだ。
彼は貴重な実体験よりも、安全なガラス越しの絵葉書を大切にしているのだろうか。

※デジタルエッセイは、著者の放浪出発のために、近日より11月半ばまで、お休みの予定です。

             ◎ノノ◎。
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2008年8月9日更新


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