アーサーおじさんのデジタルエッセイ422

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第422 信号を守って横断歩道を渡る猫はいない


 人生で何かに失望するとすれば、それはそこに期待があるからだ。
勝手に作られた期待。
武士道や職人。
公道やルール。
親友や待ち合わせ。
誕生日やプレゼント。
営業や開演の時間。
なにもかもが、ルールに縛られている。
ルールとは「期待の保証」である。

 森に行くと、狼がいる、とは限らない。
狸が出たり、蚊が刺したり、熊が出たり、出なかったり、道が崩れたり、雨が降って来たり、石が転がったり、夜が来るのは保証出来るが、星が見えるとは限らない。
両親はどこへやら、仲間は喧嘩する。13歳から親友だったポール・セザンヌとエミール・ゾラも大人になると喧嘩別れする。
「社会の仕組み」とは多くの期待を固定しようという装置であるらしい。
特に日本は結構厳格なので、期待をする生き方には都合が良い。
でも外国はそうでもないらしい。
「約束」や「契約」がことさらに日本より重く言われるというのはそのせいか。
でも訴えなければ何も起きない。
日本では「信用を失う」という制裁がある。
どれが素敵かは分からない。
期待をして生きていいものか、しないほうが自然なのか。


             ◎ノノ◎。
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2008年8月2日更新


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