アーサーおじさんのデジタルエッセイ412

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第412 カメラの行方


  家に「バランタインのタイプライター」というものがあって、カタカタと英文を打つことができる。
買ったときはとても嬉しかった。
それがどうだ、PCが普及すると全く不要になった。
第一、打ち間違いを白インクで訂正する必要がなくなった。
小指のキーが重くて、「P」「O」のインク圧が弱いということもなくなった。
データも保存できる。
で、ピカピカのそいつを捨てるしかないのだが、買った時の手続きを思い出すとなかなか動けない。
 自宅にタイプライターを持つ、ということには一種のステータスがあった。
そこからどこかに飛躍できる乗り物であるような、気分があった。
右手でバーを左に押して行送りをし(カタカタカタ)、刷り上りの紙を外すときは達成の喜びがあった。
今やその行為には骨董的価値すらなくなった。

 パソコンがコロンブスのように旧大陸(新大陸発見という表現は侵略者の視点である)に上陸して、多くの原住民を抹殺した。
伝統を蹂躙し、デジタルのパラダイムに書き換えた。
大きな犠牲と交換にわれわれは支配を受け入れた。
同じように、一眼レフのアナログカメラも使われることがない。
わたしの高級一眼レフは、交換レンズや備品付きでフリーマーケットで800円で売れた。
おかげですっきりした。
どこの自宅にも引き出しの奥にまだフィルムのカメラが一台くらいあるのではないか。


             ◎ノノ◎。
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2008年5月25日更新


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