アーサーおじさんのデジタルエッセイ595

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第595 軍服のおはなし


それほど昔ではない昔、中国の人たちは、人民服という「おんなじ服装」をしていた。
主に経済的な理由から国が推奨していたのだと思う。
思想的には「同志」だよということで一種の思想的な制服ということになる。
今でも記憶に新しいのは、北京における自転車に乗った人民服の人達のラッシュである。
それから同じような服をキム・ジョンイル氏が着ていたはずである。
でも中国は、今は違う。
とても違う。ちょっと見た目には、日本よりもずっとずっと派手で、ファッショナブルらしい。
なにせ世界の縫製、服飾デザインのノウハウがあるはずだから、色彩いっぱい、幸せいっぱい、みたいにみえる。
ところで、高層ビルのガラス張りエレベーターからお隣のビルを見下ろしていると、ある一区画に、黒ズボンと白シャツの男達が大勢集まっているのが見える。
高校生の集団のように見える。
修学旅行の若者であろうか。
そういえばそこには、ほぼいつでもそういう集団がいたことに思い当たる。
しかし高校生ではない。
それはタバコを吸うために集まるサラリーマンなのである。
その時に初めて気がついた。

サラリーマンが制服を着ているということに・・・。
全員が一様に同じ服装をしているのだ。
これは40年前には無かったことである。
自由なサラリーマンはいろんなスーツを着ていたはずだ。
学生は巨大な就活という門をくぐり始めるころから、この「国民服」を着ることを覚える。
そしてそれ以外のジャンルに入る服を避けるようになる。
それは強い決意なのか?
それとも、例の「空気を読む」結果なのだろうか?
今は間違いなく、日本のほうが「おんなじ服装」をしている。
あれは経済の前面に立っている人の「軍服」なのだろうか。
  


             ◎ノノ◎
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」  2012年6月30日更新


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