アーサーおじさんのデジタルエッセイ583

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第583 ハリーポッターと「彼女」


 ハリーポッターも主人公の例にもれず、女性にはたいへんにもてるようだ。
ハーマイオニーやチョウ、ジニーなどが知られている。
映画で「キスシーン」があったのはこの三人だったと思う。
ま、それはいいのだが、気になる女性が一人いる。
それは学友でもなんでもなく、明らかに突然に街で気が合った関柄の女性である。
 シリーズ6番目の映画の「謎のプリンス」であるが、冒頭の下町風のカフェで、ハリーポッターが新聞を読んでいる。
そこにウェイターのスリムな黒人女性が話し掛けてくる。少しばかり話をして見詰め合うと(記憶に間違いがなければ)
「お店を終わったら時間ある?」とハリーが訊く。嬉しそうな彼女。そして9時だったか、11時だったかに外での待ち合わせを決めるのだ。
けれども寸前
でダンブルドア校長先生が現れて強引にハリーを誘い出すことになる。
駅構内で寂しそうにハリーを待つ女性の姿を残して、画面は切り替わる。

 さて、このシーンが心に残っていて、たまたま映画ではなくこの本(6巻)を読む時に、原作ではどうなのか大変楽しみにしてしまった。
 この「ノルウェイの森」のような、不良っぽくも青春っぽくもあるハリーの光景はどう描かれているのだろうか?
映画の元になるハシょらない描写はどのようだろうか?
 ところがである。「原作」の冒頭は、どこかの国の首相が電話を待つところの描写から始まり、蜿蜒と続く、そしてスネイプの行動、続いてとうとう件のダンブルドアとのお出かけである。
このままでは黒人女性は現れない。
 それはこういうことらしい。
原作を再現すれば、映画が5〜6本も作らねばならない。
2時間ばかりに縮めるためには随分ハシょるのだ。
必要に応じて演出を加えるということもあるらしいが、キャストをハシょることはあっても、新キャラ登場は珍しいではないか。
J・K・ローリング氏はどう思っただろう。
 ハリーポッターは、冷たい養父母に育てられ、性格形成上には問題のある養育環境であった。
その上、11歳からは閉鎖的な教育機関であるホグワーツで過ごしている。
どうしても平凡で開放的な青年期を送ることはなかったはずだ。
思わず、この普通の明るい欧米の若者のような行為に驚いたのだが、それは原作の意図ではなかったのだ。
そのシーンに見える娑婆の青年らしい姿はかわいい。
「いつの間にその辺の修業をしていたのだ、お主!」と言いたかったのだが残念。
気の毒にも彼女は永遠にあの駅でハリーを待ったまま凍結してしまった。

               
             ◎ノノ◎
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」   2012年3月31日更新


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