アーサーおじさんのデジタルエッセイ571

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第571 ある日、聞こえなくなる


 どこの町だったか、焼き鳥屋の天井に大きな太鼓がつるしてある。
座って何」かを注文すると、店員がほとんど私の頭上にあるそれを突然打ち鳴らした。
「びやっ!」激しい地鳴りに身がすくんだ。
あまりの巨大な轟音に辟易して店を出たくなった程であったのだ。
どうも最初の注文だか、入店だかでそれを出陣の如く打ち鳴らすらしい。
そういえば焼き鳥の名前に信長だとか上杉だとか付いていたような気がする。
どうして皆平気な顔でいるのだろう。
そうしてビールなど飲んで騒いでいると、いつか馴染んでしまったのだ。
突如、「あれ、確か太鼓を叩いていたはずだが?」そう思いなおすと、確かに「ドドドーン」と客が来るたびに叩いている音響が戻ってくる。
なんと耳があの音量を調整できるのだ。

 そういえばこんなこともあった。
H市に転勤になり、なんとかアパートの4階を借り、家族で引っ越しをした。
夜中までかかった。次の日曜日の朝であった。
カーテン越しに陽が差しているものの起きれずにいたら、突然、轟音がうなった。
びっくりしてカーテンを開けると、窓一杯に黒い飛行機がこちらに迫ってくる。
叫ぶ声も掻き消される。驚いた。
なんだこの機影は!聞けばここは近くにある飛行場の発着コースの真下だと言う。
ああ、なんというミス。
いったいここに住めるものだろうか。
けれどもそれ以来、飛行機を意識したことはない。
轟音が始まると、会話をとめるという習性はすぐに身についたばかりか、無意識の習慣となっていたらしい。
 斯様に、短期であれ、長期であれ、ほぼすぐに慣れてしまうという性質が五感にはある。
生命保持のためだろうか、リスクなのだろうか?
人間の五感は安定したものではない。
ほんとうにいい加減なのである。
つまり「初心」というものは五感から崩れるように出来ている。
人は恐ろしい原発も、放射能のリスクも忘れて生きることだろう。
それにもまして五感に響いた「幸せ」も、人は直ぐに忘れることができる。
自分が持っている貴重なものを、感じなくなるのであろう。

               
             ◎ノノ◎   
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」   2011年12月30日更新


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