アーサーおじさんのデジタルエッセイ561

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第561 こんなものが懐かしいとは?


 ある映画を見た。これはハリウッドの西部劇映画であるが、全体の表現のトーンには、時代考証のリアリティに力が入っていることがすぐにわかった。
開拓時代当時の雰囲気が再現されているのが小気味よい。
しかし未開拓の過去なんて決して手放しでほめられるような世界ではないことが証明されるような演出である。※(スピルバーグが関わっていたはずだからその凝りようは理解できる)
 まず、汚い。
衛生の面での「未開拓」が分かりやすい。
それから、人権がない。
あるのは権威・権力が露骨に肩を並べている社会の姿である。
背景にはアナーキズム(無政府主義)が支配しているのを描いている。
つまり世界のできごとは、管理的にあるいは道徳的に価値づけられているのではなく、個人のパワーによって、駆け引きのバランスで線引きがされていく。
強い奴が世界を作るのである。
 その中で「射殺殺人に関する裁判」が開かれているシーンがあった。
その部屋は明るい空間であったが、まるで給食を作る厨房のように部屋中にもうもうと煙が漂うのである。
誰もがタバコをプカプカ吸っている。
もちろん口頭弁論の間もモクモクと煙が上がる。
これは、ある種の懐かしさを感じさせた。
昔は会社でも長い会議には煙が漂って、部屋は真っ白に濁っていたのを思い出す。
テーブルの灰皿は吸い殻の山であった。
家に帰ると上着はタバコの臭いに染まっていた。
自分が吸わないでもそれは当たり前だった。
つまり日本全土が喫煙室だったのだ。

 それから、禁煙室というものが生まれ、それまで気にしたことのなかった選択を迫られるようにもなった。
喫茶店では喫煙席と禁煙席、新幹線では喫煙車両というものが登場した。
ヘビースモーカーの上司が別に気にならなかった私も、それからその上司との同行がいやになった。
禁煙車両を予約しても、上司の希望で空いている喫煙の自由席に移ることもあった。
白い煙幕を張ったような車両。
どうして自分はここにいるのだろうかと疑問を抱くことになる。
だんだん嫌いになる。
煙と生きて行く必要もないのに。
そうこうしているうちに、世の中は、個人志向になり、勝手にすきなシートに座って行くようにもなった。
誰も無理をしなくなったようだ。
自由なような、淋しいような世の中に、すっかり変わってしまった。
  

               
             ◎ノノ◎
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」  2011年10月9日更新


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