アーサーおじさんのデジタルエッセイ541

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第541 重い日々


 例年だと、春のこと、あるいは夏の始まりについて書くということを考える。
けれども今年はどうにも、それが出てこない。
人生の中でも、ぶつかる確率の少ない大事件の渦に巻き込まれ、わたしたちは右往左往している。
 それはどうにも、あまり想像する現実感のなかったものであった。
いつでも極端なパニックというものは、ハリウッド映画で見るものであったからだ。
阪神大震災の千倍というエネルギーが動いて、特別の歴史が刻まれてしまった。
 国の歴史には戦争があったようなものである。
真珠湾攻撃による開戦の日を語るように、わたしたちは3・11をこれから語るのだろうか。
こうやって文を連ねていられるのは、その中心地にはいなかったからであり、戦争であれば戦地ではなく、後方、つまり銃後の生活で居られるからである。

 「あなたは一人ではない」
 とテレビは叫ぶ。でも「独り」であった人々が、一万数千人を超えてしまった。
残った人にだけ言えるメッセージを聞くのは、少々辛いものがある。
「神は越えられない試練を与えない」 という言葉もあるが、それはどうにか超えてしまった後に言えるものであろう。
その瞬間に、超えることの出来なかった人の声は、ここではもう聴こえない。
 戦地ではもちろんだが、銃後の私たちにも、一人ひとりの人生を見直すということが迫られたのだと思う。
それを出来ぬうちに、気を紛らわせることは少々困る。
千年の一度かもしれない、自己との対話の時間。
これは心の内部では「戦争」であっても仕方がないはずだ。


             ◎ノノ◎
             (・●・)
               
         「また、お会いしましょ」 2011年4月29日更新


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