アーサーおじさんのデジタルエッセイ540

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第540 静かな朝


 子どもの頃の夏、おそろしい真っ黒な雨と風が一人一人の運命を切り離してしまうほどの奈落に引き込むような一夜が明けて、何故だろうと言うほどクリアな爽やかな朝に変わる時、「台風一過」という言葉が心にひびくのを思いだす。
疲れた筋肉や頭から力が抜けて「ああ、また美しい朝が始まったのだ」と思えた。
 台風は前日、前々日から風が始まり、重い雲が垂れ込んでいかにも怪しげな雰囲気を醸し始めるくせに、通り過ぎた後はさっぱりしたものだ。
窓を開け、散りばめられた庭の木の葉を掃除すればよい。
 それ較べると地震というものは反対に、まったく突然に始まるという性質である。
しかも今回は徹底して「ああ、終わった」という感じはない。次から次と畳みかけるように、関連の災厄が際立つ。
毎日が揺れ、そのたびに震源地が変化するのに一喜一憂しなければならない。
新聞の紙面というものが変わってしまった。
外国の新聞を読んでいるような違和感と驚きが、かれこれ一か月も続いたのだ。

 昨日は深夜に地震を感じずに眠ることが出来た。
そういう朝は、あの妙な「台風一過」の爽やかさを思い出す。
 かつてバレーのオリンピック出場選手が「レバノン」のチームと対戦した時のエピソードを思い出す。
日本チームに負けに負けたレバノンの女子選手たちは爽やかな笑顔で喜んでいる。
「どうして負けたのに、そんなに笑顔でいられるの?」と彼女は訊いてしまったそうだ。
するとレバノンの選手達は「違うの、こんなにバレーが出来るのが嬉しくて仕方がないの!」と言う。
腑に落ちない。
「だって、ここは銃声が聞こえないから」と。
そう、本当に恐れるものと共生せねばならないことの圧迫と抑圧。
それがないというだけでこんなにも幸福であるのだ。
このなんでもない時間があるだけで笑みが溢れると言うことだ。


             ◎ノノ◎
             (・●・)
               
         「また、お会いしましょ」 2011年4月24日更新


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