アーサーおじさんのデジタルエッセイ525

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第525 骨修行


 私は17歳の時、地方都市の古本屋の棚で見つけた人体解剖全集3巻のうち「筋・骨格・靭帯編」を購入したことがある。
ほぼ全ページにあの皮を剥がされた筋肉人がポーズを取っているやつである。
高校生の私を見て店主が驚き、「なんに使うんだ?」と訊いた。
美術での人体デッサンの勉強、と言うと要求もしないのに値引いて売ってくれた。
 それから毎日のように、表皮を失った人体を眺め、頭の中で動かしてスケッチした。
「肩甲骨、上腕二頭筋、大胸筋、尺骨、曉骨、背筋、肋間筋、大殿筋、腸骨稜、・・」基本的に人の筋肉が幾つくらい、どんな風についているか理解していった。
好きな本の一つだった。
 ある大学の医学部で、学園祭に「解剖人体が出る」、と聞けば出掛けていった。
医者の息子が「家にくれば“標本”を見せてやる」と言われれば、嬉々として行ったこともある。
 そうやって、僕は人間の体について敏感な認識を獲得していった。
 それから何年かして、そこには書いてない事に興味を持った。
それは“内臓”でも“神経“でもなく、“恋愛”であった。
いったい人の心を支配する恋愛とは何だろう。
どうして世界がひっくり返るような展開が、異性によって引き起こされるのか?
本を探し、読みまくった。
心についての人体解剖図はないのだろうか!
心はどんなメカニズムで躍動し変化するのだろうか?

 深層心理学に出くわした。
さまざまな心の謎が解けていくようであった。
いくらか解答を得た喜びと安らぎを感じた。
 といいながら、ふとした瞬間に、すべて知ったはずの確信が薄らぎ揺らいで、こわれてしまう。
僕らはおもちゃの鉄道のように、同じところをぐるぐる回らねばならないのかも知れない。
 整形医や整体関連勉強者は、筋肉・骨格を覚えることが必要である。
そして試験に合格する頃には、すっかりと人間が分かったような気になるかもしれない。
患者に「それは肩甲骨と頚椎の奥の靭帯を痛めていますから、脊椎を通して腰椎にも影響が来たのです」などと説明するのだろう。
けれども人間を理解することなど到底出来ない。
人体は「人間」ではない。
まことに面倒なことだけれども、人生が世代交代して繰り返されるたびに、人の知識・認識も、そして恋愛もいつでも一から繰り返されなければならないらしい。

             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2010年1月9日更新


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