アーサーおじさんのデジタルエッセイ524

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第524 恋人のカン違い


 「あなたは私の太陽」であるとか、「二人は一心同体」であるとかいうのは、とてもとても気持ちのいい現象であるわけだけれども、これが「思い違い」であることは、ほとんど日常で証明されている。
それでも、事あるたびにマスコミはセレブな芸能人たちに、そう言わせる事で紙面やタイムを埋めている。
相変わらずそれが出来るのは、人々がそういう幻想を求めているからである。
 しかる後には、たいてい別れがやって来るのだが、それにもまた人々の関心は集中して、満足しているように見える。
まるで、幻想が現われることと、それが現実の前で崩壊することの両方に興味があり、両方を信じているようである。
 とはいえ、まるで宝くじにあたったみたいにかなり稀な恋人関係、そして夫婦関係を持続している人を見ることがある。
ああ、あれは本当だろうか?
お互いの事を本当に分かっているのだろうか?
どちらかが我慢しているのではないだろうか?
そうこうしているうちに、一方の伴侶を亡くす事件などある。
残された方が苦しんでいる。
ほらみろ、妙に理想的だから後で苦労するんじゃないか。

 その不運を知り、自分が同情しているのか、人生の原則に納得しているのか分からない気分になる。
ロミオとジリエットは創作だからどうでもいいけれど、「愛と死を見つめて」とか、学徒出陣で若い理想的な夫を失った女性など、理想の中で恋を終わらせた人々は、幸せである。
いつまでもその凍結させた時間に生きている。
きっと両方が長生きはしない方がいいのだ。
面倒くさい癖やトラブルで相手をげんなりさせることがないからだ。
 タイタニックに乗船してしまえば、沈没した時は悲惨である。
その点、ほころびの多い釣り船は無理をしないし、修理を繰り返しながら結構使えている。
湖のボートや泥船でも良い。
船に頼らず、自分で泳いだりして暮らせるのである、と神も思っているに違いない。

             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2010年12月19日更新


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