アーサーおじさんのデジタルエッセイ507

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第507 「博士」の定義


 十年ばかり前、職場で才気あふれた新人が私に尋ねてきた。
「『巨匠』というのは差別用語ですよねえ?」
 え?一瞬驚いた。
 この時の質問は無知な人間が世間に常識を問うというのではなく、知識豊かな人間がわけあって、ちゃんと通常の日本語を知っているだろう人に尋ねるという機微があったはずだ。
「差別用語ではなく、その世界の頂点にいることを讃える時に使うんじゃない?」
「あ、そうですか?」
 これだけであるが、この質問は長く考えさせられた。というのも、何か「ズバリ」明快にされた気がしたのである。
巨匠と言えば、故黒澤明監督が頭に浮かぶ。
故平山郁夫画伯なども巨匠ではないか。

 では、村上春樹は巨匠か?
ビートたけしは巨匠と呼んでいいか?
とにもかくにも、居酒屋で、あちらのテーブルから「巨ーっ!!」と叫ばれたら、きっと馬鹿された気がする。
ボクを勝手に巨匠の列に加えないで欲しいと思うだろう。
「博士」の定義を書けと言われたらどうだろう。
その道(学問)に通じた物知りの人、またはそういう資格者、ということらしい。
でも、それでも表わしてはいない多くのことが欠落するようだ。
夏目漱石には文部省からの一方的な「博士号賦与」を辞退した事件があるが、『辞退などという法的概念がない』と通告してきた文部省にあきれていた。
漱石は次のように書いていた。
「博士などというものは、私はこの領域では人が知らないこともちょっと知っているが、その他のことはまるで無知です、と自ら恥をさらしているようなもの」(この文は記憶によるので正確ではない。)と言っているが、かなり現実を言い現わしているようで滑稽である。
漱石のこういう物言い、こういうアンテナの良さは実に痛快である。
 この感覚で「巨匠」を再定義すれば=「その世界ではちょっと一世を風靡したが、年取ってしまったので、もう現場には奥座敷から古い考えで口を挟んで混乱させたりしないでほしい過去の記念碑的権威」だということになるかもしれない。
そうすると若者が「差別用語」であると思ったのには、かなり現実味があることになる。

             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2010年8月14日更新


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