アーサーおじさんのデジタルエッセイ470

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第470 「人の匂い」  


 昔むかしの民話では、木こりは山姥に追いかけられた。山姥は目が見えないが「ひとの匂いがするぞ」とついて来る。
どちらに逃げても「くんくん、ひとの匂いがする」。
 子供の頃の私は「ひとの匂い」とはどんな匂いだろうと不思議に思ったものだ。
いまや、水洗トイレに有能な脱臭装置が付き、毎日入浴をする習慣では、ひとの匂いは縁遠い。

 しかし歴史的には、入浴が日常化するのは最近のことだ。
昭和のある程度まで、入浴というものは毎日することではなかった。
欧米でも19世紀後半まで入浴の習慣はなかった(1875年「公衆衛生法」で入浴の奨励?)。
江戸時代の湯屋も大して清潔ではなかったし、まして全国的な話ではない。
欧米でもアジアでも、庶民の着替えは今ほど頻繁ではなかった。
和装の着物は洗い張りでしか洗濯できないし、ベルサイユ宮殿でも浴槽、トイレは特になかった。
(オマルとタライでこなす!)
人間はそれらしい自分の発する酵素や腐敗菌の匂いの中で暮らしていた。
 たまに駅付近で屋外生活者の匂いに気づくことがある。
そうだ、これがひとの匂いではないか。
冷蔵庫がない時代は、魚や肉、食品は生臭くプンプン臭うのが当たり前だった。
殊に夏は汗、食品、自然の匂いに満ち溢れていた。そしてそのまま暮らしていた。
これこそが犬、動物、そして人恋しい山姥がひとを探る根拠である。
世界は臭いに満ち溢れ、その中からひと(山姥も)はひとを嗅ぎ分けることができたのである。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2009年11月21日更新


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