アーサーおじさんのデジタルエッセイ47

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第47話 橋の下の子供


 家庭の幻想話の一つに「橋の下の子供」があるのではないか。ある日、父親か母親が、突然「お前は、○○川の橋の下で拾ってきたんだよ」と子供に告白する類の話である。顔がそっくりでも、平気で言う。冗談の類。しかし、子供は傷つき、泣き出す。僕は兄貴に言われた。

 「アフリカの本」を開いて、写真を指差し「これはマサイ族だ。お前はここの子供なんだ」と言う。「マサイ族は牛の糞で家を作ってるんだ」。違う、違う、と言って泣いた記憶がある。駒沢の行きつけの理髪店のお兄さんは、父親から「お前は多摩川で拾った」と言われた。ひどい話だ。『事実ではない』と分かっても意味はない。親がそう発言すること自体に意味がある。=お前は俺の子と思っていない=と、無意識が発言していることがある。理髪店の彼は「"おまえが"拾うなよ!な」と言い返したそうだ。「次の人だったら、いい奴だったかも」と、つぶやいていた。いい答えだ。


でも、もしかしたら本当かも知れない、とこの頃思う。人は偶然に「親」のもとに産まれているのかも知れない。あちらの世界で、親と子が別々に並んで、順番を待っている。はい、あなたの親は328番目のこの人です。はい、あなたの子供はこの人です。よろしく。そして、現世で出会う。たまには相性の悪い組み合わせがあるだろう。つらい家庭が生まれる。「本当の自分の親がどこかに居る」と思うことがある。こころがそれを探している人に会うことがある。気の毒だ。出来ることなら、よい組み合わせだったと思える人生を送りたい。

 親になった時、子供たちには、「本当の親」だと思って欲しい。パートナーとして努力する必要もあるだろう。ありがとう、ここに産まれて来てくれて。と、子供に感謝する親。

           ◎ノノ◎。 
           (・●・)。

 「今回で47作目です。いつのまにか

         一年以上がたったようです。

             オアシスの居心地はいかがですか?」

         「また、会いましょ」 2001年2月24日更新


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