アーサーおじさんのデジタルエッセイ452

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第452 「鈍行の汽車に乗ったら景色が見える」(河合隼雄)


 昔。よく出張があって、新幹線の「ひかり」に乗った。忙しい仕事の中ではこれが楽しみであった。
駅弁と缶ビールを買って乗り込む。
窓の景色を楽しみながら、もぐもぐと弁当を食べる。
そして用意した本を読む。畑や農家が通り過ぎていく。
たなびく野焼き。
心惹かれる林や神社。
手を振る子供の表情。
走る白い犬。
あそこに降りてみたいと思うたたずまいの里村。
いつの間にかうとうとと船を漕ぐ。
目覚め、また本を読む。
ある時、「のぞみ」が誕生したという。
一ランク上。
どんなものだろう。
時間も短縮されるらしい。
料金は高いがやむを得まい。
弁当とビールと好きな本を持ち込んで、勇んで指定席に乗り込んだ。

 なんだ、これは。
景色が見えないのだ!
もちろん見えるのだが、心の中で描写ができない。
びんびんと電柱かなにかが邪魔をしながら走る。
目の前で立てた指を振り回されているようなものだ。
畑も人もピントが合わない。
バラバラになったパラパラ漫画を見せられているようだ。
妙だ。
仕方なく本を読もうとした。
顔が左右前後上下に小刻みに激しく振られ、文字が追えない。
その時悟った。
私はそれまで、新幹線で「移動」をしているとは考えなかったのだ。
私はそこで過ごす特別の時間をとても楽しんで受け入れていたのだ。
だから「移動」のみの思想で生まれた乗り物にショックを受けた。
心から憎んだ。
「景色を殺すために高い料金を払うなんて!」私は短くなったはずの時間を、全く不毛に潰すしかないことに気付いた。
もう二度と乗るもんか。
 何のために人は急ぐのだろう。
私はこれまでの激しい仕事時間の推移で、どのくらい周囲の景色を見失ったことだろう。
手紙に返事を書かず、喜んだ再会を吟味せず、もらった恩を噛み締めなかったかもしれない。
優しい人の言葉に返す言葉を、失って暮らしたかもしれない。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2009年7月12日更新


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