アーサーおじさんのデジタルエッセイ446

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第446 ダブルバインド社会の日々


  馬事公苑というところで、きりりと背を伸ばした騎手たちが馬を走らせている。
この日は38頭が障害をこなす。
そしてこれも競馬同様、点数での競争である。
このように我々はどんな場所でも競争社会の縮図を見るわけであるが、一方で、常に平等の尊重を言われる。
人権・人種差別の撤廃、政治活動での平等、派遣社員待遇の平等や、さらには運動会での一着の平等ということでゴールに全員で並んで差をつけないという平等もあるらしい。しかし、みんなに教育の平等をと言いながら、結果について競争させる。
競争は単一の物差しである。
これは平等ではない。
教育の平等というなら、「物差し」の自由を与えないとおかしい。
物差しを本人に関係なく突きつける時、国家的序列の独裁があるのではないか。

 たまたま、その物差しに合わない才能を持った者は「アウトロー」しか、才能を伸ばす道がない。
しかし、アウトロー道にも序列や物差しがある。
うっかりすると再びそのアウトロー道の物差しに取り込まれる。
せっかく不良になったのに、いつしか暴走族での序列を追いかける競争に巻き込まれるということが繰り返される。
再び自分の道を見失う。
 いやならばここでも反抗を選ぶしかない時がある。
認められるとはいったい何なのだ。
人生は最後まで、突きつけられる他集団の物差しとの戦いかもしれない。(これは熟年の問題でもある。)

             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2009年5月3日更新


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