アーサーおじさんのデジタルエッセイ436

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第436 プチ予言の末路


 まだ大型コンピュータが主流で、パソコンなど登場しない頃の出版物の中で、フランスのガタリが、今後のコミュニケーション活動は、統制的な世界から何か、パーソナルな全く新たな形式が出現し、それは非常に文化の形式を変えるものになるだろう。と語っていた。
これがPCの存在しない時代の発言である。
ほとんどインターネット社会の登場を予言しているようだ。
 予言者としてべつに頻繁に世間に大予言を出さなくとも、人には得意分野での予言を発することができなくもないと思う。
もとファイターズの新庄選手は福岡の高校生(あるいは中学?)の頃、勝手に野球チームを結成したらしい、その時付けたチーム名が、「ファイターズ」であるから、彼自身が予言的であったわけだ。
 個人的に印象に残る予言について書こう。
 かつて私はポケットベルの呼び出し音など、その電子音の傾向に関心を持っていた。
少し金持ちの知人などが大きな携帯電話を持つ時代が来た。
この呼び出し音は、ピーピーである。

やがて、携帯電話の登場。
その時、この呼び出し音についての発言が、みんなにまるで冗談だと思われたことがある。
「いずれ勝手に好きな音に出来ると思うよ。例えば“波の音”“動物の鳴き声”とかね」。
しかし、まったく相手にされなかった。
今、これを書いてもぴんと来ないだろう。
「それって、あたりまえじゃん」。
でも、その時には、電話をそんな音にすることなど(不要だと思い)誰も発想しなかったんだ。
私もそんな酔狂な仕掛けは実現されないのかとも思った。
でも何年か過ぎて今、呼び出し音が、カスタマイズされるのは当たり前になった。
私のオフィスで「鹿おどし」の音がコーーンとなったり、消防車のサイレンが鳴ったりしている。
 −−−予言の悲しさは、それが証明されることで、全く価値を失うことである(T.アーサー)

             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2009年2月15日更新


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