アーサーおじさんのデジタルエッセイ383

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第383 汲めども尽きぬ


 海に恵まれた日本には、古い時代から「漂流」の歴史がある。
特に江戸時代などは、民間の造船に構造上の制限が設けられていたので(帆は主帆のみ可能とか)、いきおい漁民などの難破・漂流を助長した。
 また、嵐に翻弄されると主柱を切ることで救われると信じられていたので、天候沈静後のコントロールが不可能になり、帰港が出来なくなった。
漂流中、雨水からの飲料水の確保、釣り具などの使用で日常が落ち着いても、傷ついた船体にはたびたび危険が迫る。
ある程度の食糧を持っていても海上での苦闘は始まる。
きしんだ船体が沈みはじめるのだ。
遭難民は長いロープを捻出し、海に潜って船体を何重にも縛り崩壊を防いだという。
そして滲み込む水をかき出す。

毎日、毎日、真夏も真冬もそれは続く。
疲れ果て、桶を手から離した時、なにを考えただろうか。
 庶民の歴史の中で、苦しんだ人たち。
それは大変だったろうなあと思いながら、毎日、毎日、インターネットのメールに入ってくる、勝手で我儘、卑猥なタイトルの「スパムメール」を、削除する。
船体の側壁から滲み込む海水のように、一日中パソコンに滲み込んでくるのである。

             ◎ノノ◎。
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2007年10月28日更新


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