アーサーおじさんのデジタルエッセイ361

日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む

第361 宝石の板


 視覚の記憶。僕が高校生の頃である。
地方都市にある展覧会が来た。
会場は百貨店。抽象画など含まれる現代絵画である。
そこにシュールレアリズムの絵があった。
数十センチ四方の小さな板に描かれた油絵であり、表面は油膜が光って宝石のようであった。
その絵に惹かれた時間を鮮明に覚えている。
西欧の田園風景に横たわる爬虫類のような巨大な皺寄った顔の塊が描かれていた。
「超現実派」と書かれている。
そう現実を超えるのだ。
なんて素晴らしいんだろう。
それから何日も僕はその顔ばかりメモ帳に鉛筆で描いていたようだ。

 昨年末に上野に行き、「ダリ」の小さな板絵を見た時、その絵につながる美しさを思いだした。
板絵に細密筆で刺繍にように描き込まれ、表面はポピーオイルの飴のような光沢が妖しい。
彼等は手のひらの中で昆虫の産み落とした卵を孵して、我々に手品のように開いて見せる。
命名されていないDNAが、地上での形状を獲得したばかりの柔らかさと原色を植物油でセロファンに写し取ったようではないか。
現実に「ダリ展」のポスターデザインは巨大な地平線に巨大な歪んだ時計が胎児のような魚とともに浮かんでいる絵だが、それは拡大されたデザインであり、実際の作品は手のひら二つ分ほどの細密画なのであった。
かれらは正に「時計・宝石の類いの魔法の職人」であるという点で、他の芸術とは識別できるのではないか。

             ◎ノノ◎。
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2007年5月19日更新


日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む