アーサーおじさんのデジタルエッセイ345

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第345 漱石の地下室


 芸術家というものはどこから仕入れをするのか。
八百屋であれば青果市場で仕入れてくる。芸術家には市場がなくて、自分自身の裏庭に豊かな実りがなければならない。
その庭は誰にも見えない。
こっそりと耕し、肥料を遣り時間を掛けて実らせる。が、一旦実り始めるととめどなく収穫があがる場合も稀ではない。
その裏庭の作物が「同業界の情報」であったり「過去芸術のストック」であったりすれば、大芸術家ではないだろう。
それは芸術の商店主に過ぎないのではないか。
 年を越して正月にテレビの偉人の特集で夏目漱石の話に出くわした。
その中で気になる言葉を聞いた。

これは後で思いだしながら記憶で書くとこうなる。
『おそれることはない。目の前のくらやみを見つめれば そこに未来が横たわっている』このような言葉らしい。
記憶なので本当はどうなのか、どこに書いてあるのか知りたい。
誰かご存知ではないか、何とか教えて欲しい。
豊かな芸術の源泉は裏庭というより、秘密の地下室の暗闇ではないかしら。
これは私の持論でもあるので、漱石の言葉に驚いた。
漱石は何もかも言葉にする。
言い切れないはずの考えを言葉にするのがうまい。
 私のささやかな地下室にも、いくらかの葡萄の壜が横たえてある。
眠らしてある。
醗酵すると適当なものを暗闇から出して来る。
しかし、何十年も眠っている壜(ボトル)はそのままです。

            ◎ノノ◎。
             (・●・)。

         「また、お会いしましょ」 2007年1月28日更新


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