アーサーおじさんのデジタルエッセイ313

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第313 芸術は「孫の手」だー


 痒(かゆ)い、あちこち痒い。

ぐずぐずと体を動かす。

本能的に手が伸びてしまう。

少し落ち着く。

でも、もし痒いところが額や鼻の頭ではなく、体の内側だったら、どうだろう。

内臓だったらどうだろう。

なんか変だと感じながら、解決しようもなく、もぞもぞうごめくしかない。

ストレスになり、苦しむのだろうか。これは何なんだ?

この奇妙さはどこから来るのだろう、と。それが痒さとは意識されずに、目の前にある壁を叩くかもしれない。

親しい人に当り散らすかもしれない。

 もっともっと内面が痒いときがある。

なんだか、この自分の存在が変だ。

なんだか、感じていることが「感じ」られない。

ずっと我慢している。

そんな時に一枚の絵が切り開いてくれて、驚くことがある。

「あ、これだ、この世界だ!」

その瞬間に、自分の痒いところ(もちろんそれは体のどこなのか分からないままに)に、手が届いた気がするのだ。

それはゴッホの黄色い絵だったり、クレーの鉛筆画だったり、高村光太郎の木彫だったりするのだ。

もちろん、文学や芝居、音楽だったりする事もあるが、「絵」のほうが直接的で分かりやすい。

この新しい孫の手を作った人だけが、本当の意味で芸術家と呼ぶにふさわしいだろうなあ。

それほど、人生は痒い。



             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2006年5月7日更新


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