アーサーおじさんのデジタルエッセイ306

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第306 擦り切れる時間


「劫」(こう)というのは長い時間の単位で「未来永劫」などと使われるが、その時間は、次のように言われている。

『一劫の定義は、一辺40里(約160km)の岩を3年に1度、天女が舞い降りて羽衣で撫で、その岩がすり切れてなくなってしまうまでの時間』。

この3年に1度は、百年に一度とも言われる。嘘のような時間。

 しかしまあ、ローマのバチカン宮殿の中にある、ある聖人の像は、その足に触ると霊験あらたかと言われる。

驚いた。その巨大なブロンズ像の足のつま先はピカピカに光り、しかも靴下を履いたように、丸く指を失っていた。

訪問者が撫でているうちに減っていたのである。

設置以来数百年で何グラムもの金属が消えたということ。これは「劫」の一部分を為していると考えてよい。

 毎日出勤している自分の胸元にも「劫」の一部が存在する。

ふと見ると、お気に入りのネクタイの端っこが変だ。

気がつかぬうちに、その縁はことごとく擦り切れて、目を凝らせば繊維の目が露出したり、糸が切れ切れになったりしているのがうかがえる。

おそらく力任せに引っ張れば、表と裏とにばらばらになるだろう。

正面からは変化がないようでも明らかに、寿命である。

ただ単に締めたり外したり、風に吹かれてシャツとこすれたりしていただけなのに。

我々はこうやって「劫」と付き合っていくのだ。




             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2006年3月18日更新
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