アーサーおじさんのデジタルエッセイ212

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第212話 闇を解き放つ


どういう想像をしたらいいのか、元禄時代1688年頃から、14年に亘って81回ほど、伊豆諸島などに、特別の“島流し”があった。

青い海原を帆船が走る。

船端には徳川幕府の“役人と鳥医”がおり、さらに中には罪人が乗っているのか、それとも純粋に生け捕りになって檻に詰められた“彼ら”だけか。
実は流されるのは“カラス”であった。
多い時で950羽と記録がある(日経04/4/14)。

現在、東京都は7月までカラスの巣落としを都民から受け付けている。

読売新聞には針金のハンガーを集めて作られたカラスの巣と中の卵の写真があった(04/4/21)。

江戸から東京都へと、カラスの因縁は引き継がれていく。

徳川実紀には「巣落とし」「放鳥」が記録されているらしいが、他の愛玩の鳥は対象ではなかったようだ。
カラスはやはり嫌われたのだろうか?

しかし、仏教思想の浸透した綱吉の時代である。

放鳥は人の陰徳となる行為であるはずだ。

綱吉はむしろ仏教慈悲の体現者として積極的に進めたのかもしれない。

だって捕獲、放鳥というその膨大な労働人件費と船賃が、現在の都の財政なら支持されるだろうか?

タイや中華圏でも動物を放って善を積む放生(ほうじょう)は盛んである。

その鳥を愛玩とするか、放生の対象とするか、いずれにしてもあかあかとした光豊かな伊豆諸島の船着場で、闇のような900羽のカラスを解き放つ光景はみごとである。


             ◎ノノ◎   
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2004年5月9日更新


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