アーサーおじさんのデジタルエッセイ167

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第167話 刑場の風景


どこまでも続く住宅街を散歩する。曇り空の下の新緑は、沈鬱と無垢とを何層にも重ねたような信頼できる色をしている。ときおりブルルルーと、宅配便の車が通る。何も起こらない普通の一日のワンシーンである。この住宅の通り沿いに「現代彫刻美術館」がある―――地図にはある。どこだ?マンションの横にお寺がある。墓地がある。その隣にモダンな建築物があった。これだ。地図上の偶然の発見だから、なにも知らない。有名なんだろうか?

敷石のアプローチにスチール製の案内札があり『入場無料』とある。寄らない手はない。3階建てのガラス張りの建築である。ガラスの扉を通り、彫刻が並んだフロアには人は居ない。銀色の空気と静寂が漂う。受け付けを覗くと無人。「1階・2階は展示室。ご自由に御覧ください」、とある。宮沢賢治の「注文の多い料理店」を思い出す。

ブロンズ、大理石の首や体が、鑑賞者の方を睨んでいる。2階に上がると奥に女性が座っている。学芸員か?あ、違う!。彩色木彫の女性像であった。

ひとりで見る美術館。しかし大勢の視線が私を見詰める。背中にも視線を感じる。

デスマスクのような首達。そして上半身の塊。その昔、日本にはこういった彫刻は存在しなかったので、遣欧使節だったか誰だったか、彫刻室での体験を「高いところに白い人間の体がこちらを向いて並んでいて、あたかも刑場に来ているようだ」と表現していた。そう、彫刻って何だろう、としばし思う。

何かが沁み込んで来るのを感じて、早々に外へ出る。新緑の中に屋外彫刻が見え隠れしている。お隣は墓地である。彫刻というものは、もしかしたら個別の造形美を求めるものではなく、“たましい”の棲家をコピーする作業ではないか。展示室の空気の中に充満していたのは静寂ではなく、騒がしいまでの「気配」であった。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2003年7月12日更新


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