アーサーおじさんのデジタルエッセイ154

日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む

第154話 フセイン達の国


多くのアラブの人は鬚を生やしている。

男はアラーの教えに従って鬚を剃ってはならないということである。

でも、まあ実際には「フセイン鬚」くらいが多い。エジプトなど戒律が緩やかな国ではなおさらである。

まして軍隊や警察なら、実用的な鬚がよい。

ということで、軍人などはフセインに似ている人がいっぱいいる。

僕はこの“フセイン達”に取り囲まれて、“空手”で切り抜けた事がある。

それは僕が20代後半の事で、ガリガリに瘠せていてヨガの行者みたいな体をしている時であった。この話はあまりにもでき過ぎていて、自分でも作り話みたい

なので文章にしたことは無かった。

しかし、今毎日、テレビや新聞で“フセイン”が登場しているので、書いておきたくなった。


仕事で、かねてより念願のエジプトに行った。初めてのイスラム圏訪問でもある。

モデルを連れての撮影隊であった。

さんざんの仕事を完了して、やっとゆとりが出来、最後の日、国立カイロ博物館を訪れた。

ここは古代エジプト遺産の宝庫として有名であり、東京駅のように広く展示室が連なっている。

奥部にはあのツタンカーメンの展示室もある。およそ廊下ごと、展示室ごとに警備の軍人が歩いたり、立っていたりする。

あのベレー帽を被った“フセイン達”である。ところが、このフセイン達が護っているのは、展示室でもツタンカーメンでもない事が後で分かった。

彼等は、自己の“稼ぎ”のテリトリーを護っているのである。

平和で日常化した軍隊の、上等の稼ぎ場はこの国立博物館であるのだろう。

入って来る観光客をギロリと見て、それが特に「日本人」である

と、おもむろに近づき、もう離れない。大抵の日本人はフセインの餌食となる。

彼等は勝手に案内人を勤め、最後にYenを手に入れるというわけだ。

入り口で、我等同行のガイドは広大な館内を案内しましょう、と言う。

でも、僕はそのころ『古代エジプト』にチョー詳しかったし、最後に旅のアドリブを楽しみたかったので、一人で館内移動をすると宣言し、仲間から離れたのだった。

僕は、袋からノートを取りだし、気に入った展示物をスケッチして歩いた。

実はその時から一人の“フセイン”が僕の後をつけていたのだ。

大きな階段の途中で5人ほどの現地の子供たちがわいわいはしゃいでいた。

すぐにそれが館内見学中の学校の子供であると分かった。

僕は近づき、話しかけ、ノートの絵を見せ、僕と一緒に館内を回ろうと誘った。

勿論ことばは通じていなかったが、彼等もすぐに僕の意図に賛成してくれて、笑いながら歩き出した。

一緒にガラスケースの展示物を幾つか眺めただろうか?たいして歩かないうちに、“フセイン”が近づいて来て、子供たちを怒鳴り、手を振って追い払った。

アラブ語では何が起こっているのか分からない。

僕は「問題ない、一緒に回っているだけだ!」と何度も説明したが、彼は知らんプリをするだけだ。

『ここでは、子供が観光客と回ってはいけないのだろうか?』事の真意が分からない僕は、しかしとても腹が立った。

子供たちは遠くの方に消えて行った。仕方なく、僕は自分のペースで歩き出した。

彼は、ひたひたとついて来る。

暫くして、階段の踊り場にベンチがあったので、長時間歩き疲れた僕は座った。

最初は僕一人だった。しかしさっきの“フセイン”が現われた。そしてゆっくりとベンチに座った。

しかも僕の体に擦り寄るように隣に座ったのだ。(任務中の警備員がベンチに座っていいはずがない!)

彼が覗きこむ。僕はノートにその日の記録など書いているところだった。

「いず・いっと・やばに?(ジャパニーズ=日本語の文字)」。ふん、と思いながらも、「左様である。」と答える。

すると今度は「ゆー、はぶ、じゃぱにーず、マネー?」と訊く。あ、これが目的だったのか!僕は即座に了解し、「いや、所持してはおらぬ!」と強く答える。しかし、彼は引き下がらない。

気まずい空気が流れているところに、入り口の向こうから、なんともう一人、背の高い“フセイン”が現われた!彼は僕を見ると、目を膨らました。

僕は、またいやな奴が現われた、と思った。2番目のフセインは、いきなり拳を突き出して、ぐるぐる動かし、「ヤバニ?ヤバニ?」と僕に訊く。僕は「左様である」と答える。

すると、そいつは「カンフー、カンフー!?」と叫び始めた。

当時、世界に空手というものが現在ほどは普及しておらず、しかしブルース・リーの映画の影響でアジアでは、カンフーが非常に人気が高い時期であった。

東洋人を見ると、みんなカンフーをやるのではないかと考えている人間もいた。

それは神秘的で強力な技であり、東洋人以外には習得できないもののようであった。

実際、今ならいざ知らず、空手の型はよく見慣れた人間でないと真似が出来ないようだ。

その頃、僕の周りに空手をやる人間もいたし、『燃えよドラゴン』をさんざん見ている僕は、偽物の型くらい出来る。

おまけに十分な練習のせいで、回し蹴りで相手の顔の前で足を止めることも可能だった。

「おぬし、カンフーやるか?」という2番目のフセインの(本物の空手を見たいという)意図を理解した僕は、頭の中が高速回転した。

僕は膝に置いていたノート類を「バン!」と最初のフセインの横に叩きつけ、「致す!」と応え、立ちあがった。

そして、「I show you!」と叫んだ。

広い踊り場の真中に立つと、両足を肩幅に広げ、膝をほんの少し曲げ、両の拳を腰に引き付け、前方を睨むと、おもむろに右拳と左拳を突き出し、ブンブンと空気を切って交互に繰り返した。

「はあーっ!はっ!はっ!」2番目のフセインが喜んだ。彼は真似をして拳を突き出すが、猫のようで様にならない。軍人でもその程度なのだ。

僕は拳の作り方を教え、四指を揃えて見せ、空気をピストンのように押し出せと言う。強い声

で、「前方へ!真っ直ぐに!」と叫んで、数度型を繰り返す。

「スタンド・ヒア!」それから2番目のフセインを前に立たせ、目の前で「あっちょーーっ!!」と回し蹴り。彼の目の前に右足を止めて見せた。

気が付くと、いつの間にか、フセインは4人に増えていた。体育会系の声が聞こえたせいで何ごとかと見物に集まったようだ。

最初のフセインは、なんと押し黙り、ショボンとしている。『ザマーミロ!日本人をカモにするんじゃない!』

僕は嬉しかった。

すると、僕をしっかり信用してしまった2番目のフセインが変な動作をし始めた。

体を低くして手を床に着き、足をバタバタさせながら、僕を見詰める。(?)

あっ、「香港の空手映画」を沢山見ていた僕は理解した。香港映画で良く見る、ブレイクダンスのような、床に手を着いて足を床に触れずに回す技。

あれだ。

それを「やって見せろ」と言ってるらしい。

それから瞬間的に、僕は答えた。

「あー、それはホンコン・カンフーだ。私はジャパニーズ・カンフーだ。

私はやらぬ」2番目のフセインは、キョトンとしながら、頷いた。僕はそろそろ潮時だと考え、この楽しい舞台を終わらせることにして、ノートを取り上げ、ゆっ

くりとフセイン達全員の目を見据え、では「グッバイ、グッバイ、グッバイ」と言いながら踊り場から去った。

最初のフセインはもう何も言わない。

僕はこういう偶然の舞台で思い付きを実行できたのが嬉しかった。

日本人の目撃者など誰もいない。

誰にも知られず、自分の想像力から沸きあがるプランだけで実行したのだ。

外国で軍人を相手に何をしたと思う?誰も見ていない。秘密。

しかし、僕はカイロ国立博物館でドラマをひねり出し、演じた。

僕は彼等のカモにされた日本人と、追い払われたエジプトの子供たちのために、復讐を遂げることが出来た。

なんという充実感。

待ち合わせが終了し、ツタンカーメンの部屋でスタッフと合流した。

皆は観光してきたところだった。

僕は特別のメニューをこなしたのだ。

ニコニコと静かにしていた。

             ◎ノノ◎
             (・●・)♪

         「また、お会いしましょ」


日本鑑定トップ | デジタルエッセイ目次 | 前に戻る | 次へ進む