アーサーおじさんのデジタルエッセイ147

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第147話 捨てる、拾う。(美女の養育2)


美には二つの顔がある。ちょっと重要なので書こう。

ヒットラーが、悦び震えた一連の映画(『意志の勝利』『民族の祭典』『美の祭典』)を監督したのは、舞踏家で女優でもあった、レニ・リーフェンシュタインだったが、この3作が、当時の世界に、根底でナチズムを賛美する流れを作った、と言える。またこれを見た日本がこの後、ドイツと組んで太平洋戦争へと突入する。なにせ、ドイツは美しくて強いと信じられたのはこの映画のせいだと言われる。で、彼女、戦後100歳になってから、その「美」の秘密を語っている。『醜いものは好きになれません。芸術は否定からは生まれませんから』と。

これが、『美』の一つの顔である。実は、この映画から最も影響を受け、その考え方を別の道で実践に移したのは、映画の発注者であるヒットラー自身なのだ。彼は編集を彼女に全て任せた。そしてその奥義を密かに身に付けたのではないか?彼にとって醜いものを選別する『民族においての選別思想』はこの時、吹き込まれたのではないだろうか。

近代における美は、この逆が主流であろう。世界の中で見捨てられ、隠れているものを拾い出し、価値を示す。これが「美」のもう一つの顔である。20世紀の初頭以来、さまざまな発見が続けられている。これらはヒットラーからは『頽廃芸術』として迫害され、作家は追放や亡命を余儀なくされた。

国連高等弁務官の緒方貞子さんは、レニとは反対の事をしている。世界から政治的に「見捨てられた」人々を生かすべく、文字通り“生きる”手立てを探し実践する。

彼女なら、きっとこう言うだろう。『醜いものを見捨てる気にはなれません。

芸術は否定からは生まれませんから』というわけで、彼女もまた、芸術家なんだと、私は思っている。

             ◎ノノ◎
              (・●・)

      「また、お会いしましょ」 2003年2月9日更新


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