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第一話 センセーの思い出


 ところで、私の思い出は今から25年前、初めてインド旅行した時ひげもじゃのターバンインド紳士のことです。多分、インド民族舞踊ショーかなんかがあり、その時に恰幅のいいインド人がアナウンスをしていました。

 ずいぶんと「日本語」がうまく大変感心致しておりました。ショーが終わり、廊下に出ると、丁度彼がそこにいましたので、「日本語おじょうずですねえ」っと、まさに言おうとした瞬間です。ターバンの彼が、キッと遠くを睨んだかと思うと、次の瞬間相好を崩し、「センセー、どうも、どうも」と向こうから来る初老の日本人に頭を下げたのです。

 私は「センセー」にびっくりしたのと、なんだかとても恥ずかしい気持ちになったのを記憶しています。

 なぜ?なぜ恥ずかしかったのだう?

それは、やっぱり「せんせー」は日本人の恥ずかしさのアイテムだからなんでしょう。そこに、様々な過去の権威主義や頑固主義が集まっており、それを心地よく受け入れる人間のあさましさが露骨に表れるのでしょう。そういえば「センセー」と呼ばれた彼は、胸を張り、口をへの字にして「うむ」と答えた、ような・・気もします。

 インド紳士はそれを良く知っていて、おちょくっているのかもしれません。だいたいどうしてインド人が「先生!」という呼び方を覚えるでしょう。誰かが「日本人、かるいかるい、せんせー、言えばイチコロね」なんて吹きこんだんじゃないか、と思います。許せなーい。  

 彼は日本の客を「センセー」という言葉と「おじぎ」でキープしているのでしょうね。そういえば用心棒に親分が「せんせー」という時も、どこか尻上がりで、「どしようもないけど、とりあえずたてとかねえといけねえ・せんせえ」という印象ですね。

 親密に先生と呼ばれることは大変に貴重なことですね。

             ◎ノノ◎
            (・●・)

「では、またお会いしましょう」 2000年3月2日


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