アーサーおじさんのデジタルエッセイ577

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第577 気がつけばサンドイッチ2


 通勤駅に入れば、何かいつもより騒然としている。
駅務員が緊張し、入口ごとのドアの開閉時に押し込み作業を続けている。
午後からの雨の予報のせいかあるいは厚いコートの着膨れのせいか判然とはしない。
一つだけ本日の特徴がある。
それはバレンタインデーということ。
女性を見るとしばしばパステルカラーの小袋を下げている。
ははあ、菓子が入っているらしい。
いつもより余分な荷物が入り込んで車内の嵩張り方が増しているのではないか。
あまり押し付けると壊れたり溶けたりするのではないか。

 空想ではあるが、雨ラッシュ、着膨れラッシュ、そしてチョコ・ラッシュというものがあるかも知れない。
 誰もが嬉しいというわけではないかも知れない。
かつてバレンタインデーが日本に上陸した頃は、ロマンに満ちた行事であった。
女性からの心理的な贈り物などファンタジーである。
送る方も、いただく方も、自由と希望にあふれていたからだ。
そのうち「ホワイトデー」というものが生まれた。
あれれ、何か違う。
「お返し」だと言う。
「愛」にお返しが社会化されるなんて・・?
それからほぼ倍返しを前提としていると想像できる「義理チョコ」が普及してしまった。
愛の倍返しを期待するのは了解できるが、義理の倍返しは義理に違いないので、「選択」の余地が無い。
選択の余地が無いものは「告白」でも「受諾」でもない。
単なる季節儀礼である。
そういえば「え、私にチョコ?」と言う言葉に、はっきりと「ええ、いつも大変お世話になってますので」とはばからない言葉を聞くことがある。
愛の告白のように「返事」はいらないらしい。
私は選択の余地がない儀礼は好きではない。
要するに社会制度の網目が伸ばされているだけじゃないか。
最近ようやく、虚礼廃止ということで、お歳暮・お中元に心を煩わせることが減ってきたはずなのに。
日本人を縛る制度が、引っ越しをしただけじゃないか?


             ◎ノノ◎
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」 2012年2月18日更新


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