アーサーおじさんのデジタルエッセイ573

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第573 美人波動砲


 美人は見てて嬉しいばかりでは決してない。
本当に街で見かける中には「半端じゃない」美しい人もいる。
その人たちは生まれながらにして、そのオーラを発するので、そのオーラが出ていない「普通の人生」を知らない場合もあるのかもしれない。
 さて、菌糸類のキノコというものが日陰の場所を選んで生えるのならば、太陽はその存在を知らないのだろう。
「キノコ?わたし見た事がない」と言うだろう。
ヒマワリの花も怪しい。
「わたしそれ知ってる!」しかし太陽とっては、自分に向いているのがヒマワリである。
その裏側などあるとは知らないから、ヒマワリを丸く黄色い球体だと思っているかもしれない。
 このように都市に住む限り「美しいですねえ」という言葉や、感嘆の表情とともに暮らす美人は、宿命的に人生が狭いかもしれない。
幸福でもあり、不幸でもある。
なにかのきっかけで、目の見えない人ばかりの世界や、闇の世界に放り出されたら、なんと自分のオーラが効かないことに驚くことだろう。
みんなと同じなるからだ。

 それはふとしたことで表現される。
 渋谷の地下街で真っ直ぐ歩く私の前方に、輪郭も美しい美人が後ろの人と話ながら、横切ろうとしていた。
道路交通法的に言えば、周囲を無視して横切ることはできない幹線道路に私がいるのであるが、その人は私を見ずに、しかし私が注視していることを感じながら、強引に突入して来た。
間一髪のところで私は足をかわして切り抜けた。
思わず「なんということだ!」と嘆息せずにはいられなかった。
それは実に軽々しい「人格無視」であったからだ。
もちろん謝罪する言葉も表情もなく、当然だとばかりに強権を発動したのであった。
強権とは「美人権」「美人波動砲」であった。
これではしばしば、美人が故に嫌われることになる。
超エリートが世間の人の生活が分からないのと似ているのかも知れない。

               
             ◎ノノ◎
             (・●・)
               

         「また、お会いしましょ」  2012年1月21日更新


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