アーサーおじさんのデジタルエッセイ537

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第537 脳を考える


 わたしは昔から「脳」の話が、相当に好きである。
新聞にも「脳」の文字があると大抵丁寧に読んできた。
だから詳しいほうかもしれない。
 いつでも「脳界」にはブームの人がいて、今は茂木健一郎さんとか、築山節さんとか、少し前は養老タケシさんとかがいた。
 でもよく考えると、脳について「考える」のは奇妙な話である。
だって、考えるのは「脳」によってであるから、自分で自分を解剖して研究するようなことでもある。
 そう、脳を考えるのは、料亭の「まかないレシピ」に興味を持ってしまい、せっせと食べている料理人みたいなものかもしれない。
あるいは自家発電でその発電機を回すようなものである。
 工場のベルトコンベアシステムを作るベルトコンベアみたいなもの。
分かりにくいなあ。
 結構にその比重は大きいのかもしれない。
そもそも人間は最初から人間製造機として生まれ成長し、その業務が終わると、人間もそろそろ終わる。へんなの。

 人間に目的などないのかもしれない。脳にも目的などないのかもしれない。
脳の業務は身体の統一と自我のコントロールであり、そこで消費するエネルギーもそうとうに大きい。
心臓自体が消費する血液が多いのに似ている。
 また、立派な宴会を催すのに関係者が多いのに似ている。
全員が幹事である宴会は何が目的であろうか?
 だんだんおかしくなってきた。
脳について考えるのは、合わせ鏡の奥を覗くみたいに歯痒い思いがする。
とにかく賄いレシピをメニューに出しているレストランである。


             ◎ノノ◎
             (−●・)
               
         「また、お会いしましょ」 2011年4月2日更新


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