アーサーおじさんのデジタルエッセイ479

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第479 神になる方法 


 神になる方法にはいくつかあると思われるけど、まず「言葉を作る」という方法を書いてみる。
 フラメンコダンサーが汗をまき散らしながら、一時間近く踊ったとする。
それは再現されるし、伝承される。場合によっては電話やDVDで別人が習得することもあるだろう。
なぜそれが出来るか。動きのひとつひとつに名前があるからである。
 昔、相撲の実況がラジオで聞けたのも、動きに名前がついていたからである。
新たな技が生まれれば、さらに名付けるのである。
もちろん音楽では、ひとつひとつの音や動きに名前が付いているので、後世に再現できるのである。
各々の世界には具体的なイメージと文脈がある。
まずそれを知る者が、混沌の中から「それ」を抽出して名づけることが出来る。
そうでなければ真似ることはできない。
あるいは即興のものを繰り返すことはできない。
抽象的な世界は名前を付けることで「存在」を始めるのである。
 そして、まだまだ未開拓な分野だらけなのである。
あなただけが感じる世界について、細かく観察し名前を付けていけば、とんでもないところまで到達できるに違いない。

 かつて、19世紀の後半に、それまで誰もが入り込まなかった未知の「心」という暗黒面に一人で分け入り棲みついて、観察したことを人にも分かるように時間を掛けて「ことば」にした人間がいた。
ジークムント・フロイトである。
暗黒の新大陸を征服して地図を作ったわけだ。
そのおかげで現代の我々はさほど怖れることもなく心を扱えるようになった。
また21世紀の我々は、19世紀の人間が知らないパソコンのための言葉を本棚一杯ほど知っているではないか。
 まず、「初めに言葉ありき」とは神の行為である。
神は世界を創るにあたって「言葉」を与えた。
「混沌」でさえ、その言葉から生まれた。
そして大雑把な神様は灯台のようにざっと光を当てただけで、それ以上踏み込んでいない。
だから私達が丁寧に名付けていく領域は、いくらでもあるのだ。
さあ、「プチ神様」への出発である。


             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2010年1月30日更新


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