アーサーおじさんのデジタルエッセイ433

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第433 「なんときれいな話」


 今日は朝から汚い話を書くので、その方面がいやな人は読むのを避けたほうがいいかもしれない。
 僕らの小さい頃の田舎家の造りは、分かりやすかった。ガラガラと開ける玄関。
内側には仕事場にもなる黒々とした土間と厨房。
その土間にむかって小さな縁を持つ居間には祖母さんが座っている。
全部の襖を外すと大広間になる居室の果てには、大きな長い廊下。
その向こうに庭。廊下の端には大抵、庭側へ出っ張った便所があった。
横には天狗の団扇のような葉の植物や南天が植わっている。
見上げると鐘を逆様にぶら下げたような手洗いが天井から下がっている。
用を済ましたあとは、鉛筆の芯ほどの太さの出っ張りを下から押すと、必要な分だけ水がチョロチョロと出てくる。
それで指先を洗う。
そこには手ぬぐいが干してあるからそれで手を拭く。
子供の背では水が伸ばした腕を伝って脇までしたたる。これは石の手水のこともある。

 さて中に入って見ると。板敷きの便所はおごそかだが、臭い。
丸い穴が切り取られた板敷きは縁取られ、風防形の意味のわからない立て板がある。
用を足すときはこの穴を覆っている木の蓋を外して壁側に立てる。
もわっと汚臭が広がり、蝿が飛び回る。この下も素朴である。一メートルほど下に穴が掘られ大きな甕が埋められている。
ここに全てが集められるが、蝿などの王国となって彼らの子供達が遊んでいる。
しかしこれも、時々柄杓で掬われ、田んぼの肥溜めに運ばれる。
作物の栄養源となるのだ。
ああ、なんとエコなのだろう。
昔の田舎の生活というものは、ほとんど自然の営みの一部なのだ。
わずかの水で手を洗うのは衛生上というよりほとんど神事である。
受ける甕は、不要物入れではなく、田んぼへの贈り物入れである。
 無駄な食物の存在しない自然寄りの世界では、犬猫は残飯整理係りであった。
だから彼らは魚の内臓や骨など喜んでバリバリ食べていた。
ちなみに野原や田んぼで子供達が野糞をすると、一目散に野犬たちがやってきてうまそうに食べてしまう。
こうして自然は、人生産業廃棄物のないきれいで清潔な緑色をしていてくれたのだ。

             ◎ノノ◎   
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2009年1月25日更新


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