アーサーおじさんのデジタルエッセイ403

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第403 もったいないテレビ放送


 またまた、昔の話になる。三丁目の夕陽ではないが、テレビ放送が始まった頃、あのころは皆がNHKを見ていた。
しかし24時間放送ではない。
時々休憩があった。
その前で放送の開始を待ち続けたものだ。
テストパターンだけが映っていた。
あのデザインは目に焼きついている。
その間、俳優やアナウンサーが準備をしたりするのだろうか。
舞台興行の本番をガラスの箱で実行しているような素朴さであった。

 言いたいのはそんなことではない。
私の地方ではNHK以外はNHK教育放送と、民放が一社であった。
教育放送の存在は無視していたが、民放との兼ね合いでのチャンネル判断は苦労したと思う。
ある日、東京では民放のチャンネルが5個とか6個とかあると聞いた時、パニックに陥った。
「え、それどうやって見るの?」「見損ねたら、どうするの」その意味は今は誰にも分からないだろう。
放送番組は全て見るものだと信じていたふしがある。
見損ねた番組は空中に死んでいく。
「もったいない」と。そんな無駄なことがされていいものか。
全部を統一して一チャンネルで流したらいいのに。
何十本もの水道管が開いて水が流れている。
そこに手のひらを出しても、少しの水しか飲めないのだ。
 まして、暫くすると地上波デジタル放送に変わる。
その蛇口がさらに開かれ、ナイヤガラの滝のようにデジタル映像が噴き出される。
ひとつひとつのドラマごとに有名スターがふんだんに登場して、必死に演技している。
わたしは諦めて、むしろナイヤガラの飛沫を避け、部屋で文庫本のページをめくるしかない。


             ◎ノノ◎。
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」  2008年3月23日更新


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