アーサーおじさんのデジタルエッセイ339

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第339 法師


  エッセイを書くことは、内容を伝えるように書く作業のようだが、案外、違うところがある。イメージである。
コンテンツよりも「イメージ」が浮かぶと、どうしてもそれで書きたくなる。
内容なんて、あとで考えよう、と思っている。
 さっきまで太陽が照っていて暖かい、かと思えば、この季節、早い午後に日が翳ると一気に冷え込む。
肩が冷え、足が心細い。
ぼーっと眺めるオレンジ色の空を斜めに黒い線が走る。
線は不規則にびりびりと揺れ、目に焼き付く。
鳥が飛び去ったのだ。
あとは都市なのにどこか寒村の沢を眺めているような静けさである。
『こころなき 身にもあはれは 知られけり 鴫立澤の 秋の夕暮』という西行法師の句が輝く。

彼は家を捨てた放浪の出家僧だったのかしら。
それでも尊敬されていた。
昔はそんな人の存在、普通だったのだろうか。
尊敬すべき人が細い足で、寒々と人気のない湘南の沢に立ちすくんでいたらしい。
日にわずかの食糧で暮らし、暖もとらず、物も持たず、とつとつと生きて行く。
髯も剃らず、髪も僧にしてはさっぱりとせず、おそらくホームレスのような風貌ではないのだろうか。
 通勤電車の乗降客で賑わう地下道で、群衆の足元を眺め続けるホームレスにも「あはれは知られる」だろう。
それは句に残されず、忙しい人びとが振り向くこともないだけ。
寂しくとも、人の居ない時代のほうが、まだ暮らし良いと言えるのかもしれない。



             ◎ノノ◎。
             (・●・)。

         「また、お会いしましょ」  2006年12月10日更新


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