アーサーおじさんのデジタルエッセイ316

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第316 ことばのドア


 なんにも書くことがないので、何か詩でも書こうかと思ったが、そういえば僕は、どうも詩というものが分からない。

「詩」とは何だろう?

説明の事柄を書かない文章?

逆に、こころの動きを事柄に変えて書く?

あるいは、大きな比喩?

あるいは、言葉による音楽?

普段使わない漢字を意味深に使うこと?

言葉の持つイメージを素材にした積み木?

その職人芸か。

では、無垢の材料を使った彫刻みたいなものなのか?

 でも、高校生の頃、なんだか随分と詩を書いたような記憶がある。

「風立ちぬ」なんか読んでいた頃だ。

サナトリウム、なんてそもそも現実ではなく、詩そのものみたいな言葉だった。

どうして、詩を分からないで詩が書けたのだろうか。

分からないでやっているほうが楽しいのかもしれないし、その頃は、分かっていたのかもしれない。

長い映画のところどころを切り取って、ばらばらにしたものを少し離して、並べてみせたようなものだった。

 やっぱり、詩はまだ分からないけれど、最近きれいだと思うことばがあった。

 道を知る前は 木を切り 水を運ぶ

 道を知った後は 木を切り 水を運ぶ  老子


 よく馴染んだ言葉があって、そこから何かを考え始めるドアなのかしら。



             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2006年5月27日更新


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