アーサーおじさんのデジタルエッセイ311

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第311 車内における児童退行との遭遇


 毎度、電車の中の話題になるが、これは喧嘩の仲裁に入った話。

たった一駅だが急行なので次の駅までが長い。

ドア前に入ったら横の男達がごつごつと動き始めた。

理由は分からない。

窓に映った映像で見れば、三十歳前後の黒いスーツの男二人がつり革を握った肘で押し合い始めた。

睨み合いながら、一方が挑発をしているのが分かった。

もう一方は体格が良く、睨み返しながら挑発に応え掛けようとしている。

間違いなく混んだ密室での喧嘩が始まりそうである。

横の年配男性が大きな声で「やるなら外でやれよ!」と怒鳴る。

まずい、これはますます挑発になる。

僕は横にいて、二人の動きを体側で感じる。

もっと離れている人々は傍観者となって騒ぎに「注目」し始める。

通常だと、喧嘩に口出しはしないが、心の何かが動いた。

それは「自分の役目」という感覚だった。

衝動のエネルギーと心の動きが読めるのだ。

読めない場合は危険である。

また、遠くにいれば介入は出来ない。

今なら介入しない方が自分への害が大きい。

この二人は、黒いスーツを着て職場を目指している。

これから迎える大変なストレスを予期して苦しんでいる。

まず一方はそれを眼前の対象で発散しようとし始めている。

もう、一方は突然の挑発者に許せない感情が暴発しそうになっている。

しかし、抑え難い自分自身を制御できない一方で「誰か止めて欲しい」と願っているのではないか。

それが見えたのだ。

僕は、殴りかかったBの腕をすぐに掴んだ。

「やめて、やめて。何してるの」と防いだ。

二人は睨み合う。

体をくっつけたままものすごい目つき。

なにせ二人には距離が全く無いので、ちょっとした動きが、一触即発に変わるはずだ。

もう一方のAの肩を叩き「どうしたの?どうしたの?」とやや慰める。

「やめなよ、やめなよ。ね、一駅なんだから」と時間を稼ぐ。

Bの手が振り下ろされるのをパッと掴む。

二人とも通常のサラリーマンである。

ただ今は、だだを捏ねる巨大な小学生に還ってしまっている。

人は激情によって子供時代を取り戻したいのかもしれない。

私は二人の顔の間に手を差し込み、指の衝立で視線を妨げる。

そのまま、黙って電車は走る。

ややあって、私の手が払われ、体格のいいBが静かな声で「大丈夫です」と言う。

私は手を下ろし、窓の鏡面で二人を伺う。

まだ、次の駅まで時間がある。

駅に着いて離れる瞬間が問題だな、と思う。

その時に、もう一回介入しよう。

そう思う。

乗客の誰もが黙り込んでいる。



             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2006年4月23日更新


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