アーサおじさんのデジタルエッセイ265

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第265 空腹状態でいることを受容していく


 社員食堂にて。窓際の明るいテーブルに座る。お昼ごはんを食べる仲間のトレーの上には、茶碗ほどの器にサラダが一皿。あとはお茶だけ。最近どうやっても、65キロが切れないのだと言う。

聴けばいろいろと持病もあるらしい。

簡単に運動を勧めることのできない状況もあるようだ。

自分自身も、夜遅くものを食べるのを止めるようにして久しい。

十二時を過ぎた頃、ふとお腹がすくのを感じることがある。

 何かうすら淋しい。おじさんたちは誰もが、うすら淋しい。

何かつまみたいと思う。

缶ビールでも開けようか。

と、開ける人もいるだろう。

私は空腹を味わいながら、我慢する。

朝になれば、食べられるじゃないか。

うっかり食べてしまえば、胸やけがする。

朝もむかつく。

空になった牛乳ビンのような体になって布団に入る。

子供の頃はいつもお腹が空いて、夕御飯にがっついた。

お腹が痛くなるほど食べた。

水も飲めない。

あれは、必要だったのだ。

今は「いらない」のだ。

 夜に目が覚め、少し水を飲む。

自分はいま何を求めて生きているのだろうか。

欲しかったものは手に入れたのだろうか?

カーテンの横から夜の明かりか、夜明けの明かりか、うっすらと光が漏れるようだ。

朝、起きて思う。

大人になるというのは「空腹状態でいることを受容していく」、ということなんだなあと。

             ◎ノノ◎
             (・●・)

         「また、お会いしましょ」 2005年6月5日更新


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