アーサーおじさんのデジタルエッセイ127

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第127話 戦争の性格


いろんな記念日があるけど、「今日始まった戦争」などと、あんまり言って欲しくない。少々無理して維持してないないかい?ブッシュさん。

ところで戦争の強さは、世界の「カテゴリー化」の強さである。これは戦争に特徴的な機能である。戦争には必ず「あっち、と、こっち」と別ける力学が働く。敵と味方。敵軍と友軍。自由と独裁。アメリカとアラブ。自由主義とイスラム主義。本当はそんな線などないところでも、必ず戦争が始まると線が生まれる――引かれる。中間を許さない。

真珠湾攻撃があると、アメリカ本土の日系人は2世も3世も敵性人として、沙漠に作られた収容所に入れられた。ハワイでもそうだ。彼等は米国に忠誠を示す必要のために、維持してきた日本の行事やしきたりを捨てて見せた。言葉も日本語を排した。


英語の分からない1世が、孫の蔑視に耐え、毛布を掴んで涙を流したはずだ。トーゴーの日本を恨んだ。どうして我々のことを思い出さないのかと。それが「戦争の力」だろう。ことばで「カテゴリー化」するのが。

平和とは、分けないことでなく、気付く度に分け続けることであり。戦争とは一回で分け切ると、それ以上の作業を放棄することなのかも知れない。


             ◎ノノ◎。
             (×●×)。

      「また、お会いしましょ。」 2002年9月15日更新


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