アーサーおじさんのデジタルエッセイ111

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第111話 闘牛場の民主主義


マタドール(殺し士)とは、スペインの闘牛士のことであるが、日本でいえば国技の大相撲の力士みたいな感じだろうか?

3人で登場し、2匹づつの牛を殺さなければならない。

「ドウ」と倒すのがいいので、「ばたばた」とあえいだり、応援が必要だったりするとブーイング。

牛もそれ用に種が選ばれ、育てられている。きょろきょろしたり、うろうろする牛はよくない牛だそうだ。

マタドールの勝ち負けは、観客が決めるもの。

歓声があがり、白いハンカチがいくつも振られると、それを見て判定者が名誉を与えることになる。

観客の歓声にとは関係なく金メダルが与えられるフィギュアスケートは、その点危ない。

裏で利権が動いている。それくらいなら観客の反応で選ぶのは良いことだ。この程度なら『芸術とはみんなに分かるもの』と考えていいから。

ではピアノコンテストならどうだろう。芥川賞ならどうだろう。

ノーベル賞ならどうだろう。

少し選ぶのが難しくなると、“偉い人が審査員”なのであり、どれも利権がないとはいえない。

今回の米国「アカデミー賞」では、男女とも黒人が受賞し、白人優位主義が解かれたといわれるが、圧倒的多数のカリフォルニア州の会員のほとんどが民主党であり、ブッシュ大統領の共和党の人種差別的政策に反対の意思表示をするためという意見(米谷ふみ子:4/8朝日新聞)があった。

「価値」の変化を主張する時には、それなりに訳がある。「すばらしい!」だけでは、なかなか人は動かないのだろうか?


             ◎ノノ◎     
             (・●・)

         「また、お会いしましょ。」 2002年5月18日更新


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