アーサーおじさんのデジタルエッセイ104

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第104話 時代が死ぬという事件


僕は江戸時代に生きていないから、本当のことは分からない。

しかしたら、もっと沢山あるのかもしれないけれど、映画でできないことは沢山ある。

昔、町の通りは広かったけど、真中に下水溝がありところどころに板が渡してあった。

車も通らないから人は堂々と真中を歩いたし、子供の遊び場は道路だった。

朝はその溝をまたいでしゃがむと、糞尿を垂れた。それが町の風景だったのだ。

江戸では人口密度が高くなると、厠(かわや)を設けて糞尿を集めるシステムも生まれる。

それでもヨーロッパよりはよほどましであった。

西欧の住宅は集合建築であり、厠を内部に持たないので、夜には窓から容器の"中身"を投げ出していた

。頭から浴びる者もいたはずだ。ま、そんなの映画で描く必要はないけれど。

あんな時代もあったねと!

で、なんだっけ?あ、そうだ。

映画(時代劇)が放棄した事。

NHKの「利家とまつ」でも、水戸黄門でも平然と放棄してしまったこと。それは、女性のこと。

昔、美しい未婚の女性でも、結婚と同時に「お歯黒」をし、「眉剃り」をすることだ。

明治時代まで実際そんな風俗が見られたが、この考証は現代映画とともに消え去った。

松島奈々子や酒井法子が結婚してあんな姿をしているのは、間違いなのだ。

色気で若い男を挑発する「町娘」のような、あんな可愛い派手さでいられなかったのだ。

この考証を当たり前のように守ったのは只一人、黒澤明監督であった。

確か「乱」ではその最後のお歯黒が見られる。

鬼気迫るその女性の歴史的な姿は、この監督の死で終わったのだ。



              ノノノノ
             (・∪・)
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      「また、お会いしましょ。」2002年4月1日更新


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