アーサーおじさんのデジタルエッセイ102

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第102話 脊椎関節のシンフォニー


夜の杉木立が暴風で揺れる時のように、オフィスでは、黒いスーツを着た5・6人の男が頭を下げながら名刺を交換する。

どの顔も、ナイフをヒラつかせるように鋭い目付き。

テーブルを囲んで坐ると、「さっそく、」商談が始められる。

言葉は丁寧だが、笑顔がなく疑いと苛立ちがあふれている。

ああ、背骨が固まっている。肩も首もカチカチだろう。

社会的な日常の舞台ではあるが、なんと原始人から遠い人間の姿なんだろう。

せっかく人に生まれながら、多くの時間を緊張と他人の原理の中で構築してしまうのだ。

多くの有能(だった)サラリーマンが、定年後、数年で亡くなってしまう、という事実がある。

なぜか。"亡くなる"のは、まず、定年後の日々の行動目標である。

そして目標を失った人間は、実質的に生きていけなくなる。

"原始人"は目標を紙に書けないけれど、その環境との関係の中に、存在の原理をしっかり持っている。

だから生きる感覚を失うことはない。

全身のバランスが生命の原理で貫かれているから、脊椎は柔らかい。

柔らかくしなやかにリラックスしている。

原始人でない我々は横になって、ゆっくりと背中を押してもらうと良い。

背中はバリバリである。

呼吸に合わせて押したり、離したり。やがてふにゃふにゃの子猫のような少年時代が、想い出されるだろう。

(押す力と呼吸が合うと、自然治癒が始まります。深く、ゆっくりと)



             ◎ノノ◎
             (・●・)

       「また、お会いしましょ。」2010年6月5日更新


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